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宮沢りえの激ヤセの原因となったのはやはりストレスが理由? 森田剛との沖縄手つなぎ熱愛写真撮られた?!

こんにちは、NAOです。

今回の話題は『宮沢りえ』さんです。そういえば『宮沢りえ』さんは、昨日「第40回日本アカデミーショー」において『湯を沸かすほどの熱い愛』に主演したことにより最優秀主演女優賞を受賞されています。おめでとうございます。

『宮沢りえ』さんといえば、「写真集Santa Fe」が話題となり、18歳のその美し過ぎる姿態が、注目の的となったのを覚えています。その半生は、報道されている内容を見ただけでも、十分すぎるほど「波乱万丈」と言っていいかと思います。

今回はそんな「宮沢りえ」さんの激ヤセとなった理由についてせまってみたいと思います。また、「新・恋人」と噂されるV6の森田剛さんとの仲について、調べて行きたいと思っています。

日本アカデミーショー主演女優賞『宮沢りえ』のプロフィール

出典:http://pinky-media.jp/I0000445

  • 名前:宮沢りえ(みやざわりえ)
  • 生年月日: 1973年4月6日
  • 出身地:東京都練馬区
  • 血液型:B型

「宮沢りえ」さんは11歳で芸能生活をスタートさせ、CM『三井のリハウス』の初代リハウスガール「白鳥麗子」役で注目され、1988年、映画『ぼくらの七日間戦争』の主演で女優デビューを果たし、日本アカデミー賞新人賞を受賞しています。

17歳の時に『ふんどしカレンダー』や、18歳の時には、先ほどの写真集『Santa Fe』などの奇抜な話題でも注目を集めました。

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『宮沢りえ』激ヤセの理由は?

1992年には、貴花田(当時関脇、現在の貴乃花親方)との婚約を発表しました。当時、国民的な人気を誇っていた2人の婚約は「世紀のカップル誕生」と大きな話題となりました。

出典:http://bodychen.com/502.html

しかし、1993年、「人生最高のパートナーになれなかった」とコメントを発表し、わずか2か月間で婚約解消を発表しています。その後、拒食症の噂などマスコミからのバッシングが続きアメリカサンディエゴへの移住も発表されました。

幼少期は、伯母の下で従兄弟達と育つ。オランダ人の父親とは、両親の離婚により全く交流がなかった。ワイドショーの取材で異母兄弟がいることが明かされ、異父兄弟の日本人男性も1人いることが分かっています。

「宮沢りえ」さんの芸能活動では、マネージャーをしていた母親(りえママと呼ばれた)の存在が大きいです。なにかにつけ、「りえママ」の存在が大きくクローズアップされていました。

そんな中で、『宮沢りえ』さんと当時の貴花田との結婚については、「りえママ」と、貴花田の家族との折り合いが悪く、「りえママ」は、結婚にさまざまな理由で反対をしていたと言われてます。

一旦結婚を決意したものの、自分の母親である「りえママ」に反対され、さらに相手家族とも折り合いが悪い状況を見せられ、「婚約解消」という状態になればストレスもたまるでしょうし、心の病や拒食症になってしまったと言われています。

出典:http://bodychen.com/502.html

実際、ゴルフの写真を見るにつけ、半端ではないほどの細さでこれはダイエットとかのレベルではなく、拒食症によるものと思われますね。

この騒動後は「りえママ」はパリに住むようになり、二人は離れて暮らすようになったと言われています。2003年、山田洋二監督の「たそがれ清兵衛」で真田広之と共演したときはまだ少し痩せてはいましたが、『宮沢りえ』復活を思わせました。

今度は「森田剛」?手つなぎデートの真相は?

蜷川幸雄さん追悼公演の舞台「ビニールの城」の共演をきっかけに、森田剛さんの関係が熱愛と言われています。「宮沢」さん宅でのお泊りや、二人だけでの沖縄旅行などがささやかれています。

出典:https://wezz-y.com/archives/53121

不思議なのはジャニーズ事務所が否定しない事。通常だと躍起になって揉み消すのに。『公認』ってことですかね。そもそも隠していないという話もあり、2016年10月には渋谷で2人きりでデートしていたという目撃証言は多数あります。

このオープンさを見ると「沖縄デート」や「手つなぎデート」は本当の熱愛でしょうし、また、ファンもそのフランクさに好印象を抱いているようですね。V6のイベントにも「宮沢りえさんが来ていた」という情報もありました。

そもそも、10代や20代の恋愛の話ではないので、じっくりゆっくり見守ってあげたいものです。

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波乱万丈の人生の『宮沢りえ』のまとめ

本当に、この人の人生ほど「波乱万丈」を感じさせてくれるものはないと思います。

綺麗でピチピチの時からの激ヤセ、そして復活。本編では書いていませんでしたが、一般人との結婚と離婚と妊娠。さらに、アカデミーショーの受賞と。山あり谷ありで、それでもまた登ってきた『宮沢りえ』さん。

2014年、「りえママ」と呼ばれた母親も亡くなり、「最期に、生きるということの美しさと凄まじさとその価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は役者として母として女として惜しみなく生きようと思います」とコメントされてます。

激動だったであろう人生を送ったからこその言葉として、その言葉の深さを感じます。役者として母として女として惜しみなく生きて欲しいものです。

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